子供…
神様からの「預かりもの」
東海林路得子
赤ちゃんが与えられた時は、だれでも不思議な感動で一杯になります。それはきっと、わたしたちの見えないところで、ちゃんとひとりの人格をつくられて生まれてくるからでしょう。ですから、この感動は二人目でも二人目でも、変わりありません。そして、この時点で、わが子は親にとって「世界一」なのです。
ところが、日を経るにつれて、親の言うとおりにならなくなる上、比較の世界に投げ込むことになり、成績というレッテルがついてきた途端、わが子は世界一ではないと思い知らされます。
しかも母親は、多かれ少なかれ、育児のために自分の人生を犠牲にしてきたという思いがあるので、 「もう!」といらだつのはムリからぬ話しかもしれません。しかし、ほんとうのところ、学校の成績が個人の進路に関係があるのかといえば、決してそうではないということは、自分や自分の周囲をみればよくわかります。進路とは、大学とか会社ではなく、将来自分がなにをやりたいか、ということです。その点に関しては、学校は、子どもの将来に責任を持ってくれるところではありません。責任を持つのは、本人と、わたしたち親なのです。
よく考えてみますと、もともと子どもは自分の所有物ではなく、単なる「授かりもの」でもなく、神様からの大切な「預かりもの」なわけです。ですから、子どもが自分の立場や希望を言えるようになるまでは、子どもの成績にとらわれるよりも、むしろ、子どもが育つ環境を整えてやることが大切な役割であると言えます。そして、もし、子どもに対する理不尽な扱いや、子どもの成長を阻むものがあれば、学校でも行政でも、あるいは教会に対してもはっきり申し立てを行う責任があるのです。
もちろん、子どもの成長には、さまざまな苦労や心配がたえません。でも、「神様が必ず良いように導いてくださる」と思い、祈って待つという道があるのです。そして、その中で厳しい試練を経て自立していくのです。
一方、親も、いつか子どもが安心して飛び立てるように準備しなければなりません。それは、親自身が自分を「世界でただひとりの大切な存在」として確認し、感謝をもって自分自身を生きることです。その親との生活体験から、子どもたちは「生きることの素晴らしさ」を実感し、親のもとから飛び立つ勇気を与えられるのです。